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DOCUMENTARY

the Penan

The Penan

2010.09.01 - 2010.09.30

ボルネオの広大な熱帯雨林のなかで生活してきた遊牧民族、プナン。吹き矢や銃で狩りを行い、植物の採集で食糧を得て、近くの川で水浴びと洗濯をする。2、3カ月に一度居住地を移すため、他のボルネオ先住民族と異なり農耕を行ってこなかった。

ボルネオに住む先住民族の生活は、ここ50年間の大規模な木材伐採により影響を受けてきたが、特にプナンは遊牧生活をしてきたため受けた影響は最も大きい。森林資源の枯渇や政府の定住化政策を含む様々な理由により、全人口約1万人のプナンのうち、現在でも遊牧生活を続けているのは200人程度。(2015年当時)大多数は1960年代から定住し始めた。

まだ移動生活を続けているコミュニティの一つ、バ・マロンでは、8家族20人程度が生活をしているが、子供やコミュニティの将来を考え現在定住先を探しているところなのだそう。もともと稲作をしない彼らの、森から採れる唯一の炭水化物源はサゴの木からとれるでんぷんだ。コミュニティ総出で山の斜面を30分程川まで下る。男性たちはサゴの木を見つけるとその木を切り倒す。女性は近くから細い木を切ってきて、その作業に必要な装置を組み立てたり、赤ん坊をあやしたり、皆の食事を作ったり。一人ひとりが自分のすべき作業を穏やかにこなす。木の繊維をこそぎ落し、水に浸してろ過されたものを乾燥させでんぷんを取り出すという作業で、ほぼ丸一日かかる。空いた時間には、昼寝をしたり、現金収入になる籐製品を編むためのラタンを採りにいったり、釣りをしたり。最後にみんなで水浴びをして、来た道を戻る。一日がかりの作業で得たでんぷんは乾燥されているため保存がきき、数日間かけて消費される。森で採れるものは食糧ばかりではない。薬や、狩りの道具、住居資材に至るまで全て森からの恵みである。

わずか数十年でそんな彼らの生活する環境は大きく変わった。共存してきた豊かな森が急速に失われている今、プナン同士の土地紛争も多く発生している。土地を所有するという概念すらなかった人々同士が、それをめぐって争わなければならなくなっている。また、伐採した木材を運ぶための道ができたことで、近くの定住プナンコミュニティや町に気軽に行くことができるようになった。定住プナンのロングハウスにはあるテレビも、電気も、トイレや学校も、バ・マロンにはない。自分たちの「貧しさ」に「気づいた」のだ。

日本はサラワクからの木材輸入に関して何十年間も最も大きな顧客の一国であり、また一旦中国に輸入され安く加工されたサラワク産木材製品も多く輸入している。今年8月に日本木材輸入協会(JLIA)がサラワク州政府と意見交換の場を持った際の記者会見で「日本は違法伐採対策に関してサラワク州政府発行の認証を尊重する」と発表している。つまり、EU諸国は木材の第三者認証機関による認証を必要とするため、サラワク州からの木材輸入にはかなりの制限があるが、日本は、先住民族の生活を無視して木材企業に伐採許可を与える張本人であるサラワク州政府が発行する「違法伐採ではない」という認証があれば、問題なく輸入できるということだ。

さらに、早くから木材伐採会社が入った地域では、伐採後の広大な土地のプランテーション化が進んでおり、パーム椰子やパルプの原料となるアカシアが植えられている。日本でパーム油は植物由来で「エコ」だとして食品等に多用されているし、アカシアは安価なコピー用紙としてオフィスで大量消費されているが、プランテーションでは大量の農薬が使われるため、それにより汚染された川の水を使うしかない付近の住民は、皮膚病などに苦しんでいる。

「例え定住して、子供を学校に通わせるようになっても」サグンは言う。「やっぱり森と生きていきたい。私達にとって森は町の人にとってのスーパーマーケットみたいなもの。定住したって森がなければ生きていけない。」

 

撮影地マレーシア・サラワク州

撮影時期2010年9月