the Shining Lady
the Shining Lady
2015.07.01 - 2020.02.01
2012-2020
幼い頃からの祖母との記憶は、どれも優しい。
私と妹へのお小遣いの500円玉を貯めておくための小さながま口財布。泊まった次の朝よくしたかくれんぼ。
私が高校生の頃、祖父は身体を悪くしてから亡くなるまで数年間入院していた。もうとうとうというある時、私たちが病院に行くと祖父が喉に付けられた管を嫌がって暴れ、ベッドに紐でくくられていた。祖父は滅菌室の中で、なおも必死に顔をこちらに向けて、もう声は出せなくなっていたけれど全身で訴えてきていた。祖母は滅菌室の外の私たちに、「もうあんたらの知っちゅうおじいちゃんやないき、会わんほうがえいかもしれん」と言った。
その祖母が認知症を患い、発症し始めたのが2009年頃。認知症の家族を持つことは母にとっても初めてで、身体の動かなくなってきていた祖母の在宅介護で疲れていた。また時に怒って杖を振り回す、「ちゃんと」できない祖母にいらつくこともあった。そんな日々は2年ほど続いた。
2012年末にその後7年間過ごすことになる介護施設に入所。私が写真を撮り始めたのもこのころだ。母は施設の方に祖母のケアを委ねつつ、まるでそれが義務であるかのように、ほぼ毎日会いに行った。「おばあちゃんも1日に1回は笑ったらいいき。」と30分ほど一緒に過ごすためだ。祖母は少しずつ穏やかになって、よく独語を喋るようになっていた。祖母の笑い方が昔とずいぶん変わったことに気づく。私の手を想像以上に強い力で握って、「血管がこわれるほど握りたい!」と言うのに驚く。
写真を撮ったり、祖母の韻を踏むような独語たちをメモしたりしないと、記憶は簡単に滑り落ちていくようだった。
2018年、どんどん食が細くなっていた祖母は点滴を受けなければならなくなり、祖父が亡くなった病院へと移った。独語も極端に減り、看護師の助けなしではあまり動けなくなっていた。そして2020年1月のある夜、ちょうど100歳だった祖母の内臓はゆっくりと動くことをやめた。母と父と私はその時そばにいた。
このシリーズは祖母の最後の8年間であり、祖母の名前が「艶女(つやめ)」であることから、かなりの意訳ではあるが「The Shining Lady」と名付けた。
撮影地:高知県高知市
撮影時期:2012-2020




















































